cindy crawford with her name and the date above
Yu Tsai + Design Leah Romero

ELLE.comのシリーズ「オフィス・アワーズ」では各々の分野で成功している方々の初めての仕事、最悪の仕事、仕事にまつわるたくさんのことを尋ねている。

今月はスーパーモデルでビジネスウーマンでもあるシンディ・クロフォードにインタビュー。シンディは雑誌の表紙を1000回以上飾り、自身のブランドを成長そして成功させた最初のモデルの一人といっても過言ではない。「シンディ・クロフォード・ホーム」と「ミーニングフル・ビューティ」を設立し、後者は今年で20周年を迎える。シンディが自身のキャリアを振り返り、学生時代の夏のアルバイトから自身の子供に伝えてきたキャリアアドバイスをご紹介。

初仕事

「初仕事は9歳の時で2歳上の姉と一緒にベビーシッターをしていました。15歳の時、時給が50セント(約80円)だったので姉と二人で25セント(約40円)ずつでした。」

バイト条件は母に頼れる環境でシッターをすること。母が在宅しているとき、シッター先が近所であることがマストだったとのこと。

「今の時代では赤ん坊をティーンに預けるのはあまり頷けないことですが、あのころのアメリカ中西部では珍しくはなかったのです。いろいろな仕事をしてきましたが、どれもお金を自ら稼ぐことへのリスペクトや、1ドルの尊さを教えてくれました」

夏のアルバイト

アメリカ中西部にはトウモロコシ畑がたくさんあり、夏になるとトウモロコシの雄穂を取り除く作業に従事していたそうだ。

「暑さに汗びっしょりになりながら、友人と一緒に夏休みのうち3週間、12時間から14時間働いていました。学生生活を満喫するためのお金とホームカミング用のドレスを購入することができました」

欲しいものも自分で買うのが常。

「私や姉が特別なシャンプーやコンディショナーが欲しいと親に訴えても、母は私たちが自分たちのお金で買えるはずと言って買ってもらえませんでした」

最高の仕事

「モデルの仕事です。ファッション業界にいたことで世界に目を向けることができました。働いている人もクリエイティブでいられることもファッションが紡ぐ物語も大好き。多くの人や国に出会い、ニューヨークに住むこともできました」

モデル界での経験を重ね、自己主張ができるようになったとのこと。

「モデルを始めたころは、自分の意見が言いづらい環境でしたが、自信をつけることで『アイデアがあるの』とか『このようにしませんか』『この髪型は自分にフィットしていない』と言えるようになりました。より一体感が増したし、自分の意見が聞かれれば聞かれるほど、楽しくなっていきました」

最悪の仕事

トウモロコシ畑での仕事が最も厄介だと思われがちだが、他人の家を掃除するのバイトが一番厄介だったそうだ。

「トウモロコシ畑で働いた後はドロドロだったので、家に入る前は必ず母が外でホースを使い汚れを洗い流してくれたものです。そんなトウモロコシ畑の仕事も大変だったのですが、何よりも他人の家を掃除するバイトが一番嫌でした。」

掃除をすること自体は嫌いではないが、他人の家の水回りの掃除はなかなかに厄介とのこと。

「3時間で15ドル(約2,300円)稼ぐことができました。家中に散乱した山盛りのセーターを畳んで歩いたこともあります。今でもお店でセーターを見た後は畳んでしまうほど、その習慣が抜けないです。」

夢の仕事

夢の仕事は母親であること。

「この前も娘(カイア・ガーバー)と一緒に仕事ができてすごく楽しかった! 息子とも一緒にいろいろしています。母親であることもそうなのですが、頭を最大限に働かせていたりスキルを活かしているときが一番楽しく感じます」

父親からのキャリアアドバイス

「だてに『仕事』っていわない。」

「父が頻繁に言っていることで、これは仕事をどんなに愛していても、やる気が生まれずベッドに包まりたくなる日もあるということ。夢のような仕事でも、楽しくない日もあるということです。もう一つ、時間を守ることを教わりました。父も私も時間には厳しく、私自身、子供に伝え続けていることです。」

時間を守る秘訣

物事にかかる時間に関して現実的に考えること。

「よくある間違いは、非現実的な時間の目標や予定を立てることです。起床して家を出るまで30分だと思っていても、実際には45分かかります。遅刻するよりも早めに着くほうが私は好きです。」

時間を守ると時間通りに終えられるから好き。

「先方に『彼女が遅かったから、終えるのも遅くなる』といわれることもなく、逆に 『私は時間通りにきたので、私の問題じゃない』と返すスタンスです。予定通りに動けるときが、自分がベストを出せるときだと思っています」

ブランド設立への道

「以前は学生であることが仕事だったので真剣に勉強していました。学年首席だったりいろいろと。モデル業にも同じような姿勢で取り組みました。常に学ぶ姿勢を大切にしています。“こうしたらどうなるだろう、あれをしてみよう”の連続。すべての試みが成功したわけではないけど、いろんなプロジェクトに体当たりすることで心が躍ります」

自身をブランドとしてみたことはなかったが、ファン層がどのような人たちなのか、そしてどのようなブランド提携に自分が合っているのかを理解していたとのこと。

「どのような企業が私とのお仕事に興味があるのか、常にアンテナを張っていました。自分のイメージがセクシーなアメリカンだということも理解していたので、ペプシやレブロンのような一般的な客層を持つ野心的な企業と働ける、と考えたりもしました。エクササイズビデオを始めたとき、健康とウェルネスが私のイメージに加わったので、たばこのキャンペーンなどは自分のブランドとは異なるので受けないと決めたりしました。後に、自分のプロジェクトを始動する覚悟と自信がついた結果生まれたのが『ミーニングフル・ビューティ』です。」

「素敵なチームと働いていて、30年来の付き合いになるパブリシストもいるし、エージェントもいるし、みんなの意見を聞くのが大好き。でも、最終的にシンディ・クロフォードに関して最も権威をもっているのは私だと気づいたので自分の直感に従うことにしています。」

ビジネスチャンスを見極めるときに問いかけること

自分に適しているのか?

「今のワークライフに満足していて、あまりそれを揺るがせたくないので、プロジェクトがどれほど時間を要するのか、何が必要なのか、金銭的なところなどを見極めるようにしています」

ビジネスは野球

「夫とは別に、”ビジネス・ハズバンド”、ライセンシングを担当しているパートナーがいるのですが、ビジネスチャンスを見決めるとき、彼は野球アナロジーを使います。本当にその通りで、ビジネスではホームランを打つこともあれば、ストライクになってしまうこともあります。けれども、全力を捧げれば少なくとも単打を打つ自信はつくし、その単打のために捧げる努力を意味のあるものにもしたいし、さらにはホームランを狙いたい」

「ミーニングフル・ビューティ」におけるビジネス戦略

「『レブロン』と長年仕事をしていて、35歳のころ、ようやく自分の何かをやるべきだと感じました。スキンケアは私にとって大切なことだったので最も熱を注いできたことです。ドクターセバークとともになにかやりたいことも確信していたのですが、どのようなパートナーとともに展開すればよいのかもわからず、ひとまず全員と面接をしました。金銭的な観点とアイデア的な観点からフルパートナーを約束してくれたインフォマーシャルという形を結果的に選びました。」

リスキーなインフォマーシャル

「あの時代にインフォマーシャルをやるのはリスキーではありましたが、30分という制限の中で説得性と実りのある話を伝えられる自信がありました。雑誌の1ページに広告を展開する自ブランドと大きな勢力を誇る他ブランドとでは、道のりが険しく長い闘いだという自覚もありました。」

どのようにしたら自分が誇らしいインフォマーシャルが作成できるか?

「友人にも見られるし、この機会にインフォマーシャルというものを再構築するべきだと感じました。D2C(消費者直接取引)にのみ適応する戦略などがあったので、それを学び挑戦する毎日でした。『ミーニングフル・ビューティ』を始めたときは5年程のプロジェクトなのかと思っていたのが、今となっては20周年を記念しています。これは自信をもってホームランだったといえるでしょう」


シンディのデスクから

自己肯定感を上げる方法

ありきたりかもしれないけど「今日は素敵な一日になる、だって私がそう決めたから」という考え方を持つこと。ポジティブに見るか、ネガティブに見るかは自分次第。

朝のアラーム

アラームは必要ないんです。朝型人間なので。

メールの結びの一文

「Thanks」かキスの絵文字。

メールに関して

受信トレイがゼロじゃないと耐えられない。主人は1000本くらいためているときがあるのだけれども見ているだけで不安になる。上から順に消していきたくなります。

最も達成感を感じた瞬間

自宅出産をしたこと。すごく大変だったけれども私にとっては正解だった。すごくパワーを感じました。これを成し遂げたんだから、私には何でもできるって思ったんです。

※インタビューは要約されたものになります。