80歳を過ぎてから、周りに助けられながら独学でプログラミングの初歩を学習し、独自のアプリを開発。まもなく90歳を迎える今もITエバンジェリストとして活躍し、講演会や取材のため連日、各地を飛び回る若宮さん。その人生は、まさに戦時中に始まった。「子どもの頃は、毎日爆撃を受けてそれが日常になってしまっていた時代。自分が幸福かどうか考えるようになったのは、3食当たり前に食べられるようになってからでしょうか」
高校卒業後、若宮さんは銀行に就職し、定年まで勤め上げた。「当時、女性は窓口業務が主で、昇進や長年働くなんて考えられませんでした。でも、私はそんな環境のなかで自分なりの方法で仕事について考えつつ仕事を続けることを選び、企画開発部といった部署や管理職も担いました。今思えば、したたかな性格でなければ長くは働けなかったなと思います」
定年を迎えた後は自分の時間に没頭した。「退職したら自分の好きなことに精いっぱい時間を使えると思って楽しみにしていました。母の介護もあったけれど、手伝ってくれる兄弟がいたので、とにかくやりたいことに熱中できたのはありがたかったです」
ITへの興味はまだインターネットがない30年以上前からだそう。「電話回線を通じて友人と文字だけを送り合ったりすることから始まりました。Windows 95の登場後、ネットが普及してますますコミュニティが広がりました。今でも『一般社団法人メロウ倶楽部』という高齢者向きの交流サイトの理事を勤めています」
オンラインでの交流の場をきっかけに、ITの世界にどんどんのめり込んでいった若宮さん。ひとりで学び、わからないことは遠隔地にいた先生にメッセンジャーで教わりつつアプリを開発したことで、“世界最高齢”プログラマーとして注目を集めた。とはいえ、本人は年齢を意識していないと言う。「何歳であるかよりも、どういう生き方をしたいかのほうが大事だと思います。アプリを開発したり、エクセルを使ってアート作品を作ったり、私はその時々に夢中になれることをしてきただけ。だから人と比べるのではなく、自分のやりたいことを続けることを一番に考えています。幸せかどうかだって、私は最期のときに『いい人生だった』と思えれば、それで十分じゃないかと思います」
自治体や企業から講演会に引っ張りだこの若宮さん。特に高齢者が自立し、自分の頭で物事を考えることの重要性を強調する。「年齢を理由に何かを諦めるのはもったいない。学び続ければ、新しい世界が開けるので、高齢者こそ生涯学習が必要です。性別、学歴、国籍、身体の不自由だって関係ないです。やりたいことは、できる方法でやればいいと思います」
若い世代に向けては、AIの活用についても話すという。「インターネット台頭からAIの時代まで見てきて、次は何が出て来るんだろうとわくわくしています。何歳になっても成長できると思っていますし、これからも自分が楽しいことを続けていくだけです」