
アメリカエンタメ界に欠かせない存在といえばキッズアクター&シンガーたち。もちろん小さい頃から人並みはずれた才能を示し、音楽界や映画界の方が放っておかなかった子どもたちも多いけれど、経済的な理由からスターとして稼がなくてはならなかった子どもたちも少なくない。そこで今回は幼い頃から家計を支えなくてはならなかったセレブたちを大特集。母子家庭を支えたジャスティン・ビーバー&セレーナ・ゴメスから、失業手当まで両親に取られていた故ナヤ・リヴェラまで、毒親たちに貢がされていたセレブたちのエピソードをお届けする。
ジャスティン・ビーバー
13歳のとき、YouTubeに投稿したパフォーマンス動画がきっかけで世界的大スターになったジャスティン・ビーバー。彼が生まれたとき父ジェレミーと母パティは18歳。ジャスティン誕生後、2人はすぐに破局してしまう。パティは自分の両親の力を借りつつ、シングルマザーとしてジャスティンを育てることに。たくさんの仕事を掛け持ちして頑張るけれど、学歴のない18歳女子に世間は冷たい。安い賃貸住宅に住み、経済的に厳しい生活を強いられていた。ジャスティンは20代初め、売れっ子になってから受けたインタビューで「僕は子どもの頃からストリートでパフォーマンスしていた。ギターを弾いて歌うとみんながギターケースにお金を投げ入れてくれた」と回想。「そのお金でママをディズニーワールドに連れて行ってあげられたんだ。ずっと行きたかったけれどお金がなくて無理だったから、すごく楽しかったよ」。デビュー前から彼が路上で稼いだお金が彼とパティの生活を支えてきたことを匂わせている。ちなみにジャスティンのパフォーマンス動画をYouTubeに投稿し始めたのは母。友人や親戚に見せたい、ジャスティンの才能を応援したいという思いからだったらしいが、息子の経済的な成功を期待する気持ちも皆無ではなかったと見られている。

母の思惑通り、プロデューサーのスクーター・ブラウンとアッシャーから才能を見出されデビューしたジャスティン。ジャスティンは「僕たちの家にはお金がなかった。自分たちの家に住んだことがないんだ。ママに家を買ってあげたいと思っている」と語っていたこともある。もちろんその後、その言葉を実行。母だけでなく離れて暮らす父ジェレミーにも家をプレゼント。19歳のときにオンタリオにある85万ドルの家を買って贈っている。当時父はすでに他の女性と結婚し、子どもをもうけていた。ジャスティンは自分の異母妹弟たちにいい生活をさせてあげたかったと言う。さらにジャスティンは父に月5万ドルのお小遣いも。最初は月1万ドルだったのがジャスティンが売れっ子になるに連れて増えていったとジェレミーの友人が新聞「デイリーメール」に暴露している。友人曰く「ジェレミーはパーティーが大好きだが、これまではお金がなくてそういうライフスタイルが楽しめなかった。今は息子の稼いだお金で夢のような生活を送っている」「ジェレミーはいつも傲慢なタイプだったけれど、ジャスティンの成功後はそれがますますひどくなっている。『俺はジャスティンの父親だ』が口癖なんだ」。
ちなみにこの頃、ジャスティンは隣人宅に卵を投げつけたり、飲酒運転で逮捕されたりしていたけれど友人によると「ジェレミーはジャスティンに父親らしいアドバイスをしないどころか、彼をだめにしている。ジャスティンが問題を起こしている背後にはジェレミーの影響がある」。
ちなみにこの頃ジャスティンはプロデューサーでラッパーのディディことショーン・コムズと親しくしていた。現在コムズが性的人身売買や暴行などで逮捕、起訴されたことで2人の関係に注目が集まっているが、ジャスティンが本当の父であるジェレミーから得られなかった父親像をコムズに求めていた可能性も大。実際、コムズはジャスティンのメンターを自称していた。しかしその後ジャスティンはコムズからも距離を置くようになる。それはコムズの犯罪行為を察し、父親像には程遠いことを知ったからではないかという説も。実の父にはたかられ、芸能界での父には裏切られたジャスティン。子どもが生まれて父になった今、いいパパになろうと頑張っているのはそんな背景もあるのかも。
セレーナ・ゴメス

コスメブランドの大成功させ、自力でビリオネアになったセレーナ・ゴメスも母との生活を支えていた過去を持つ。彼女の母マンディも高校時代に彼女を出産、セレーナが幼い頃に離婚する。マンディは生活を支えるため仕事を3つ掛け持ちしていたが「家にはいつもお金がなかった」という。セレーナ曰く「ガソリンが入れられなくて、車が高速道路で止まってしまったことが少なくとも7回はあったのを覚えている」。100円均一で売っているパスタが夕食の定番メニューだったという。マンディは女優志望で苦しい生活をしつつも地元の舞台に出演していた。それを見て育ったセレーナも演技に興味を持つように。母はセレーナの芸能界入りを応援して、彼女にオーディションを受けさせるように。努力が実ってセレーナは「Barney and Friends」の役を獲得、10歳で本格デビューする。

2年後、ディズニーが大規模なオーディションを開催する。でもセレーナによると「私と母は飛行機のチケットが買えなかったからカリフォルニアに行けなかった。それで私はテープを送ったの。それを見てディズニーは私を気に入ってくれたんだと思う」。このオーディションでセレーナは「ウェイバリー通りのウィザードたち」のメインキャラクターに抜擢、大ブレイクを果たす。母との生活がこれで一気に潤ったのは間違いないといえそう。ちなみにセレーナと母の関係は良好。彼女が公の場所で母を批判したことはなく、むしろ賞賛することのほうが多い。とはいえ「母は私のためにすべてを捨て、3つの仕事を掛け持ちしていた。いつも私たちよりも貧しい人たちがいること、私たちも大したものを持っていないことをいつも意識していたのを覚えている」。母は演技に興味を持ったセレーナを応援していただけかもしれないけれど、母ひとり子ひとり生活が彼女に無言のプレッシャーを与えていた可能性も大。
ゼンデイヤ

実はディズニーチャンネルは家計を支える子役たちの宝庫。ゼンデイヤもその1人だった。彼女が俳優になることを決めたとき、父は自分の仕事を辞めて彼女と一緒にロサンゼルスへ。母は地元のオークランドに残って2つの仕事を掛け持ち。父の分も働いて家計を支えていた。13歳のときゼンデイヤがディズニーチャンネルの「シェキラ!」のオーディションに合格、大ブレイクしたことで稼ぎ手のポジションはゼンデイヤにバトンタッチ。「以前はそんな余裕がなかったけれど、最近、悩んで育った10代の頃を振り返るようになった。当時の私は自分が大人のポジションに押しやられたように感じていた。私はとても早い時期に一家の大黒柱になったし、役割の逆転がいろいろ起きた。本当に大人になったような感じだった」と2024年のインタビューで語っている。

今でも映画の主演を務めるときにはナーバスになるというゼンデイヤ。「自分が縮こまってしまい、自分に起きていることを楽しめないように感じる。私はいつも拳を握り締めているような状態だからだと思う。子どもの頃から緊張を引きずっていて、今もとても緊張している。それに学校に行きたかった」。ゼンデイヤと両親の関係は良好ではあるけれど、子どもをここまで緊張させてしまうのはある意味、毒かも。
ベラ・ソーン

「シェキラ!」でゼンデイヤとコンビを組んでいたベラ・ソーンも一家の大黒柱。母の意向で子役としてデビュー、10歳のときに父親が交通事故で亡くなってからは、彼女が生計を支えてきた。ベラ曰く「私たちはクーポンで生活していた。みんなには大したことじゃないかもしれないけれど、シングルマザーで4人の子どもを育てていて、借金はあるけれど自分のものは何もないなんて最悪だよ」。母には同情的ではあるけれど、ベラは芸能活動があまり好きではなかったよう。

「『シェキラ!』のオーディションは受けたくなかった。実際オーディション会場で『私は歌わないし踊らない。空気も読めないし、面白いことも言えない。だからなんでここに自分がいるのかわからない』って言ったんだ。そうしたらみんな笑い始めた。ジョークだと思ったみたい」。それでも彼女が番組に出演したのは「もし私がやらなければ、家族みんなで路上で暮らすことになったから」。ちなみにベラ(写真一番左)には上に3人の兄姉がいるが、3人ともショービズ界経験者。母親が子どもの才能を後押していたのか、子どもに稼いでもらおうと画策していたのかは不明である。
コール&ディラン・スプラウス

13歳のときディズニーチャンネルの人気シリーズ「スイート・ライフ」で大ブレイクしたコール&ディラン・スプラウス兄弟も家計の担い手。生後すぐに子役としてデビュー、CMやドラマ、映画に出演してきたが、それは母メラニーや母方の祖母の意向。コールは数年前に「ディランと僕は生後8か月のときにお金が必要だからという理由で母親から演技をさせられたんだ。僕が自分で芸術や演技の道に進もうと決めたわけじゃない。だから演技に情熱を傾けたこともなかった」と語る動画をSNSに投稿、すぐ削除していた。

すぐ削除してしまったところに真実味が感じられるけれど、コールはその後あるポッドキャストで両親についてさらに激白。「僕の母は素晴らしい女性で芸術的な人だったけれど、経済的には世界で一番だらしない女性だったよ」と痛烈な言葉を放っている。父は最初、普通の子どもとして育てたというポリシーを持っていたけれど、離婚をきっかけに妻に同意。2人の収入の魅力に負けて芸能生活に賛成するようになったという。お金のせいで教育ポリシーをあっさり捨て去るとは、母が母なら父も父である。

ドラマ「ユーフォリア/EUPHORIA」や映画『恋するプリテンダー』で目覚ましい活躍を見せているシドニー・スウィーニーは自他ともに認める一家の大黒柱。12歳のときに地元ワシントンのスポケーンで撮影されるインディーズ系の映画のオーディションに受かったのをきっかけに、両親を説得して演技の道へ。シドニーが13歳のとき一家はロサンゼルスに引っ越すが、それもシドニーのキャリアを応援するため。しかしその後、一家は破産。ワシントンに残してあった家も失ってしまう。まだ俳優としてブレイクしていなかったシドニーはユニバーサルスタジオでツアーガイドをしたり、レストランのトイレ掃除やベビーシッターのアルバイトで家計を支え始める。「家族は私の夢を応援してくれたし、私はそれ以外の方法を想像できなかった。彼らの期待を裏切りたくなかった」と2023年のインタビューで語っている。「どんなに時間がかかろうとも、私はドラマか映画に出演するつもりだったし、辞めないつもりだった」。

ドラマ「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」で演技力を認められ、ブレイクしたシドニー。稼いだお金で家族の生活費を全額負担しつつスポーケンの実家を買い戻し、母(写真右)の住宅ローンも返済。祖父母にイタリア旅行のための飛行機のチケットをプレゼント、叔父さんには欲しがっていたボートを買ってあげたというからすごい。ちなみに写真は母のために開催したバースデーパーティーでロデオマシーンを楽しんでいるところ。家族のためにはきちんとお金を使うけれど、シドニーは今もとにかく堅実。「私は両親がすべてを失うのを見てきたし、自分にも同じことが起きるのが怖い。その恐怖が私の中に刷り込まれているんだ」と2024年のインタビューで語っている。「だから私はものすごく倹約家。投資もしている」「稼いだお金で賢い選択をしたいと思う。でもお金があっても私が安心できることはないと思う」。人並外れて努力家だというシドニーが成功してくれたからいいけれど、娘の夢に一家の未来を全部賭けちゃうのはやはり危険かも。
ナヤ・リヴェラ

2020年に水難事故で亡くなったナヤ・リヴェラ。母自身がモデルを目指していたことから子ども時代からモデルとして活躍、子役としてデビューした。家計を支えるためではなかったかもしれないが、父親の浪費癖のせいで一家の家計はたびたび火の車。結果としてナヤの稼ぎが生活費の穴を埋めるように。さらに彼女が10代のとき父親は失業してしまう。苦境に陥ったとき両親が当てにしたのはナヤの銀行口座。カリフォルニアには子役の稼いだお金を全部親の手に渡ってしまうのを防ぐために、子ども本人の口座を作りそこに残すことを義務付けた、クーガン法という法律がある。ナヤは生前発表した回顧録で「父の失業が長引くにつれて、家でお金を持っているのは私だけになった。でも何百万ドル、何万ドルも持っていたわけではなかった。悲惨な時期だった。文字通りお金がまったく入ってこなかったから、母と一緒にクーガン法の口座からお金を引き出すために出廷したことも2回ある。学校を遅刻して裁判所に行き、裁判官の前で許可を嘆願した」。
実は両親が当てにしたものがもう1つある。それはナヤの失業手当。ナヤ曰く「私は未成年だったけれど、現役の俳優だったから失業手当を受け取る資格があった。だから高校の3年間、ほとんど常に経済的に家族を助けていた」。つまり俳優の仕事があるときはギャラで、ないときは失業手当で家族を養っていたということ。「オーディションを受けるたびに自分のキャリアだけでなく、家族の生活がかかっているように感じた」。感じた、というよりまさにその通り。
ジョディ・フォスター

家族を支える子役たちは昔からいた。たとえばアカデミー賞女優のジョディ・フォスター。彼女の両親は生まれる前に離婚しているが父親は成功した実業家、母親はハリウッドのパブリシスト。経済的に恵まれた境遇で暮らしていたように聞こえるし、ジョディ自身もプライベートについてあまり語らないけれど、「私は一家の稼ぎ手だった。我が家には私以外稼いでいる人がいなかった」と言っていたこともある。マネージャーを務めていた母親は常にお金に対する不安を感じていたとも語っている。

ジョディが今、プライバシーを見せない主義を貫いているのは一家の稼ぎ手だったことも一因。子役時代に彼女についてのドキュメンタリー番組が制作され、彼女にカメラが常について回ったことがあるという。当時から彼女はそれが嫌だったけれど、「キャリアや母、家族に対する義務のように感じた」ために受け入れたとう。ちなみに彼女は演技をすることが、プライバシーが持てないストレスの捌け口になったと話している。なぜなら彼女がセットで演技している間、母はトレイラーにいてくれたから。つまり母から離れていられることに安らぎを感じていたという。自分に家計を担わせた母親に苦々しい気持ちを持っていたのは間違いなさそう。
ブルック・シールズ

ジョディ・フォスターが『タクシードライバー』で12歳の娼婦を演じた直後に『プリティ・ベビー』で同じく12歳の娼婦を演じたのがブルック・シールズ。ブルックの母テリーは女優でモデル、父フランシス・シールズは実業家で、イタリアの貴族メディチ家の流れをくんだ上流階級の出身。テリーが妊娠したときフランシスの家族は、彼女に金を払って堕胎手術を受けさせようとした。テリーは同意し金を受け取ったのだが、結局約束は守らずにブルックを出産した。テリーとフランシスはその後結婚したものの夫婦仲はうまくいかず、ブルックが5か月のときに離婚。彼女の母親はブルックにモデルをさせて生活費を稼ぐようになる。

ブルック曰く「私の母はよくこう言っていた。『この仕事が取れなければ、私たちはあの小さなアパートメントにも住めないのよ』『この仕事が取れたら、新しい車が買えるのよ』って」。さらに母親はアルコール依存症を患っていた。「私は母を生かすことに責任を感じていた。そこに自分の命もかかっていると思っていた。アルコール依存症の人には何が起きるかわからない。虐待はなかったけれど、彼女が自分を見失っているときは見捨てられたような気持ちがした。それは精神的な虐待だった」。家計も命もなんて過酷にもほどがある。