俳優・井之脇海による映画連載「CINEMA GREET」。9回目の対談ゲストは最新作『エミリア・ペレス』が世界の映画祭で賞を総なめしたジャック・オーディアール監督。『真夜中のピアニスト』や『預言者』から『ゴールデン・リバー』まで言わずと知れた名匠だが、気さくでチャーミングな人柄。映画という共通言語で、井之脇海と最初から同世代のように打ち解けた。

とはいえ、井之脇本人は「映画館で『ディーパンの闘い』(2015)を見ていた10年前、こうしてふたりで話せる現実が訪れるなんて、全く想像できなかった」と大興奮。「母国語のフランス語ではない作品を手がけるのが好き」という監督に次回はぜひ、日本語でと期待が高まる。

yutaro yamane[tron]
Yutaro Yamane[TRON]
毎回変わる作風に、映画の自由を感じる――井之脇 海

井之脇海(以下、I) 日本で役者をやっている井之脇海と申します。初めて監督の作品を見たのは大学1年生の時。パルム・ドールを獲得した『ディーパンの闘い』でした。その印象が強かったので、『ゴールデン・リバー』『パリ13区』と毎回、作風が違って見えます。配信で過去の作品である『預言者』を見てみたら、やはりテイストが違っていて面白かったです。今回の『エミリア・ペレス』にも驚かされました。本当に多才です。毎回、映画の自由さを感じさせていただき、大いに刺激を受けています。

ジャック・オーディアール以下、A) どうも、ありがとう。あなたはアルチュール・アラリの『ONODA 一万夜を越えて』(2021)に出ていましたよね? 観ています。お会いできて光栄です。

I 本当ですか。嬉しいです。『エミリア・ペレス』、楽しく拝見しました。ミュージカルでありながらサスペンスであり、ラブストーリーでヒューマンドラマ。いろんな要素が織り交ざっています。盛りだくさんなので、アトラクションのような印象になりそうなところを内容がギュッと詰まっていて、濃密です。セクシャル・マイノリティをテーマとして扱いながら、最終的には愛という大きなもので包んでいて、グッときました。オペラの脚本を描こうとしていたのが構想の発端とお聞きしたのですが、どうしてオペラだったのでしょうか。

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PAGE 114 - WHY NOT PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 2 CINÉMA

A オペラ通ではないのですが、好きなので、一度はやってみたいと思っていました。監督2作目の『つつましき詐欺師』(1996)で組んだ映画音楽作曲家のアレクサンドル・デスプラと「いつかオペラ的なものをやりたいね」と話していたのですが、結果的にそのままになっていたのです。さらに『預言者』(刑務所を舞台にしたサスペンス。2009)を手がけた後、今度は麻薬取引のキャラクターに興味を抱きました。いずれも形にできないまま、時が流れ、今回の原案となるボリス・ラゾンの小説『Ecoute』と出合ったのです。主人公は麻薬取引をしている男性で、性適合手術を受けたいという願望があるというあらすじです。これこそ、これまでやりたかったオペラと麻薬取引にマッチするのではないかと思いつきました。原作では男性だった弁護士を女性に変え、奇抜な内容ではあるけれど、やり甲斐のある作品になるに違いないと考えたのです。

I 日本人の僕からしたら、そこでオペラにしようという発想がまずないので、そこからもう興味深いです。結果的に映画にしようと至るまでにはどんな経緯があったのでしょうか。

A オペラ、あるいはオペラ的なものとして、プロジェクトは長い間、進んでいました。作曲家のクレモン・デュコルにオファーした時にもオペラが念頭にあったのです。結果的にかなりの時間がかかり、その間、シナリオはどんどん膨らみ、これだけの内容をやるのであれば、映画にした方が自然なのではないかと話が変わっていきました。メキシコなどにもロケハンに出かけたのですが、この作品はスタジオで撮影した方が向いていると気づきました。セットでの撮影となると舞台のオペラに近くなります。結局、映画とはいえ、舞台のような形で撮影することになりました。

ミュージカル映画の新境地
emilia pérez. zoe saldaña as rita moro castro in emilia pérez. cr. shanna besson/page 114 why not productions pathÉ films france 2 cinÉma © 2024.
Shanna Besson/PAGE 114 - WHY NOT PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 2 CINÉMA

I 映画が章ごとに分かれているところが、幕ごとに進んでいく舞台のような印象を受けます。そこにも最初のオペラらしさが少し残っているように思います。一口にミュージカル映画と言っても、これまで観たことのないものでした。歌やダンスに役の心情を表す曲、身体表現が多く盛り込まれています。監督はどんなことを重要視して、演出していったのでしょうか。

A 作品のなかでの曲の使い方ですが、これはもう試行錯誤を重ねて、ステップバイステップ、一歩ずつ出来上がっていったとしか言いようがありません。まず作曲家が曲を用意してくれたのですが、いいかなと思っても現場で実際、使ってみるとうまくいかなかったり、別のシーンで使ったり、曲が歌になったり、その逆もあったりとやってはやり直しの連続でした。撮影しておきながら、数日後にキャンセルになったこともあります。時には歌のシーンを撮りながら、それなら、こういうシーンを入れたらより良くなるんじゃないかとシナリオが変更することもありました。それによって、また曲が必要になることもあり、脚本と曲が相互に影響しながら、撮影していったのです。

yutaro yamane[tron]
Yutaro Yamane[TRON]
予定調和は退屈。役者と対話し再構築しながら撮る――オーディアール監督

I それは聞いているだけで大変そうです。ちなみに撮影は順撮(編集部注:シナリオの順序で撮っていくやり方)なんですか。

A  物理的に順撮はまず無理でした。スタジオで撮影することがメインになるので、予算的に一つのセットを作り上げ、それに準ずるところを撮っていくことになります。撮り終わったらセットを壊して、また新しいセットを組む。セットを作っては撮影の繰り返しです。順撮ではないと言いましたが、最初にリタが市場で歌っているシーンはとても重要なので、そこだけは一番に撮影しました。とても大変なシーンですが、“これがうまくいけば、その後もできる”というベースとなる場面でしたので、そこだけはこだわって最初に撮りました。

I そうだったんですね。僕は大河ドラマ「べらぼう」で、女性と仲良くなって足抜けをするシーンがあったのですが、初日がいきなり足抜けのシーンからだったんです。初めてお会いした女優さんと現場で役者同士、話し合って、立ち止まって、考えながら作っていく作業でした。

A 俳優さんも順番通りじゃないと「今、どこだっけ?」みたいになること、ありますよね。昨日、死んだはずの人の出番が今日、あったりしてね(笑)。順撮というと一見、理想的のように思えます。でも、予定通り、想定したように撮影は進んでいきます。それって退屈だし、緊張感がないともいえます。順撮でない場合、皆が細心の注意を払います。私も役者さんと常に話をして、いろいろなことを再構築しながら、撮影が進んでいきました。それぞれのシーンにより敏感になる。私はむしろ順撮じゃない方が頭を働かせ続けることになって、とてもいいと思っています。

音楽とのバランス構築に注目!
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I 僕は映画ではミュージカルを演じたことがないのですが、作品を見て、この美しさはリハーサルを重ねた賜物なのだろうなと思いました。一方で、役者が感じたことがやりたくてもカメラ前で制限が生まれてしまうのではないかなという懸念があります。特にアングルが1カットで決まっているので、この瞬間はこの場にいなきゃいけないというような、かなりシビアな決め事があるように思います。演出する際、どんなバランスだったのでしょうか。臨機応変に変えることはあったりしましたか。

A  曲は事前に出来上がっていたので、振付のダミアン・ジャレが現場でどんどん振り付けたり、変えたりしていきました。女優陣は相当なリハーサルを重ねています。長年、練られた脚本に加え、音楽もできていて、それを何度も何度も稽古しているわけですから、女優たちは全員、完全に役をものにしていて、自分が今、何をすべきか、理解していました。肝心なことさえ抑えていれば、アドリブを好きなようにしても、説得力があります。なかにはアドリブをしたがる方もいましたから、本番の演技は本人たちに任せました。リハの段階がとても重要で、本番には多少、自由があったんです。

I  ダンサー出身のゾーイ・サルダナのリタが見せる完璧なパフォーマンス。アーティストでもあるセレーナ・ゴメスの個性的なジェシー。芸達者な二人に見劣りしないカルラ・ソフィア・ガスコンのエミリアの存在感。3人のバランスが素晴らしかったです。特にカルラは技術云々でなく、彼女自身の繊細な感覚を大事にしていて、彼女のアイデンティティでしか生み出せない、溢れでる情感につい目がいってしまいます。カルラさん自身もトランスジェンダーですが、監督とはどのようなセッションで一緒に役を作り上げていったのでしょうか。

複雑な役柄を作り上げていく秘訣は?
person wearing traditional clothing in a colorful market setting
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A  アイデンティティの問題において、私は知らないことが多かったので、自分にとってはカルラが先生のような存在でした。エミリア役を演じるだけでなく、彼女自身の経験を知ることもまた、私には大きな手助けになりました。撮影時の彼女は52歳だったのですが、46歳で性別適合手術を受けるまで、彼女は俳優として活動してきたのです。46歳で女優になるまで、どんなことがあって、どんな思いを抱えてきたのか。それがこの映画に独特な説得力を持たせています。彼女とはとにかくたくさん話し合いました。何が人間の本質なのか。彼女自身がこれまで経験してきた人生の外も内も全部、総動員して、エミリア役に役立ててくれました。外見と中身が適合していないまま、46年、俳優として活動してきたことは私には想像もできない苦しみと痛みを伴ったことでしょう。彼女からは学ぶことばかりでした。

I  役を作る上とはいえ、トラウマを想起させるようなことと向き合うのは大変な作業だと思います。役になって、カメラの前に立ってしまえば、気にならなくなるかもしれません。ただ、その前の段階、役を理解する上ではトラウマをあえて引っ張り出し、見つめることが必要な場合もあります。比較するのもおかしなことですが、僕には想像もできないような苦しい思いをされたのではないかと思います。

A  カルラの人生が興味深いのは彼女には15歳の娘さんがいて、その母親であるパートナーの女性と今でも、それまでと同じように一緒に暮らしていることなんです。手術後も家族として、変わらない。ちょっとユニークな環境で暮らしています。

I それで、エミリアの子どもたちに対する愛情や眼差し、思いが届かない切なさなど、お芝居にパワーがあったんですね。驚いたのは彼女が男性時代のマニタスも演じていることです。

emilia pérez. (l r) karla sofía gascón as emilia pérez and adriana paz as epifanía in emilia pérez. cr. shanna besson/page 114 why not productions pathÉ films france 2 cinÉma © 2024.
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A  実はマニタスとエミリアを一人で演じることは私の考えではありません。むしろ大丈夫なのかと疑念があったのですが、カルラの方から、申し出てくれたんです。以前、男性だったとはいえ、今は女優として生きている彼女に男性役を演じてくれなんて、とてもじゃないけど、言えません。彼女を苦しめることになるのではないかなと思っていました。でも彼女の方は役作りとして、楽しんでくれているようでした。見た目、演技はもちろん、発声方法も男性の時代を再現して、きっと役者としての挑戦欲の方が上回っていたのでしょうね。

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Yutaro Yamane[TRON]
サンローラン プロダクション初の長編作品

I この映画は「サンローラン」のアンソニー・ヴァカレロが設立した「サンローラン プロダクション」が制作に加わっています。フランスらしい試みですね。

A サンローラン プロダクションにとって、初めての長編になります。今後の躍進が期待されます。ファッション・ブランドが映画に興味を持って、関わってくれることはとてもありがたいです。エミリア、リタ、ジェシー、今回、中心の3人の役は3つのタイミングで進化、変化していくので、三者三様、3パターンのコスチュームが求められました。衣装は女優陣にスタイルを与えるだけでなく、ヴィジョンやインスピレーション、さまざまなものをもたらしてくれ、演出にも大いなる力を与えてくれました。

I キャラクターそれぞれの衣装がハマっていて、スタジオ撮影の色の力もあり、芝居以外からの要素も観客にたくさん刺激を与えるような印象を受けました。役者にとって、衣装はとても大きな要素です。見た目だけでなく、内面を作ることにも役立ちます。着ていると自分の服は見えなくなりそうですが、ふと視線を落とした時などに目に入ってくる色や形、時には匂いからもインスピレーションを受けるものなので、自分も芝居をする上でとても大事にしています。

A 日本では、衣装合わせに普段どのくらい時間をかけるのですか。

I 日本では衣装合わせにかける時間が少なく、1日かけることは稀で、1時間しかない時もあります。一度でバチっとハマる時もありますが、特に主演作のときにはわがままかもしれないと思っても、「他の可能性も試してみても良いでしょうか」とこだわってやらせてもらうこともあります。主演となると、作品の印象にも大きく影響してしまうので、より役作りが重要になります。だから、衣装合わせはいつも戦いだと思って、出かけているんです。

A  映画における衣装の重要性はそのとおりで、スタイリングの側面からも画が力強くなったと感じています。

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Shanna Besson/PAGE 114 - WHY NOT PRODUCTIONS - PATHÉ FILMS - FRANCE 2 CINÉMA

I どうやら終了の時間が近づいてきたようです。巨匠なのに、こんな年下の僕に包み隠さずなんでも話してくださって、あまりに楽しい時間で、時を忘れてしまいました。最後にどうしても聞きたいのは、西部劇『ゴールデン・リバー』(2018)でアメリカ英語、今回はスペイン語など、母国語のフランス語とは違う環境で度々、映画を撮られていますが、アジア圏は考えたことはありますか。

A  もちろん、興味はあります。僕は昔からパリの映画好きが集まるシネマテーク・フランセーズで上映されるアジアの映画を観てきました。日本に限らず、台湾、香港、韓国、たくさん触れてきました。『東京物語』『羅生門』など、1970年代に50年代に活躍した小津(安二郎)、黒澤(明)の作品がよくかかっていたので、それを吸収して、育ったようなところがあります。最近の日本映画は追いきれていませんが、世界的に注目されているようで、興味を持っています。

I 次の作品はどんなジャンルになりそうですか。どういうセンサーで決めていらっしゃるのでしょうか。

A 次にやりたいもののアイデアはまだ湧いてないです。その時に考えます。何せ、この映画が構想から5年もかかったので、『パリ13区』(2021)の方が先にできてしまいました。アイデアは疲れていない時に浮かぶもの。次の作品はこのミュージカルみたいに時間をかけません。それこそ、3ヶ月くらいで撮ってしまうかも。声をかけたら気をつけてくださいね(笑)。

I 3ヶ月でも大丈夫です。頑張ります。ミュージカルでなければ、ですけど(笑)。ぜひ何かご一緒にできたら嬉しいです。

『エミリア・ペレス』2025年3月28日(金)新宿ピカデリーほか全国公開

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
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監督・脚本:ジャック・オーディアール『君と歩く世界』『ゴールデン・リバー』『パリ13区』
出演:ゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、アドリアーナ・パス
制作:サンローラン プロダクション by アンソニー・ヴァカレロ
配給:ギャガ


yutaro yamane[tron]
Yutaro Yamane[TRON]

井之脇 海/1995年11月24日、神奈川県横須賀生まれ。9歳から子役として活躍、日本大学芸術学部では映画を学ぶ。2008年、映画『トウキョウソナタ』で複数の新人男優賞を受賞。近年の出演作として、第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品『ONODA 一万夜を越えて』、『almost people』、『バジーノイズ』、ドラマ『晩餐ブルース』ほか、今年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に出演。ニッポン放送×上田誠 舞台「リプリー、あいにくの宇宙ね」が5月4日から本多劇場にて上演。
Instagram: @kai_inowaki
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Yutaro Yamane[TRON]

ジャック・オーディアール(Jacques Audiard/1952年4月30日、フランス、パリ生まれ。父親は脚本家で、叔父はプロデューサーという映画一家に育つ。大学で文学と哲学を専攻した後、編集技師として映画界に携わるようになる。その後、1981年から脚本家としての活動を開始し、1994年に『天使が隣で眠る夜』で映画監督デビュー。同作でセザール賞を3部門受賞し、続く『つつましき詐欺師』(1996)でカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞。カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した『預言者』(2009)、同じくカンヌでパルム・ドールを受賞した『ディーパンの闘い』(2015)、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いた『ゴールデン・リバー』(2018)など。


井之脇さんシャツ¥110,000  パンツ¥226,600 ベルト¥61,600/サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ(サンローラン クライアントサービス 0120-95-2746)

Photo : Yutaro Yamane[TRON] Styling: SHINICHI SAKAGAMI(ShirayamaOffice) Hair & Makeup: TOSHIHIKO SHINGU(vrai management) Text : AKI TAKAYAMA