不穏な今を映し出す、パワフルな姿勢とアイロニー
by 栗山愛以(ライター)
モードとは、社会の写し鏡である。争いごとは絶えないし、極端な思想を持つ大国のトップが出現する不穏な世の中にあって、敏感なデザイナーたちはさまざまな方法で時代を表現する。2025-26年秋冬シーズンには、身に着けるのにエネルギーが必要な、ゴージャスなシアリングファー、リボンをはじめとする華やかな装飾、パワーショルダーなどの大胆な造形が多く見られる。さらに、2000年代に人気を博したアイコンの復活も目立つ。暗いムードが漂っていたコロナ禍に起こった「Y2K」ブームだが、着飾って気分を上げていく姿勢が今また注目されている。
2015年国連サミットで「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げられたこともあり、以降ファッション業界でも「ジェンダーレス」「ボディ ポジティブ」といったワードが飛び交い、性別、体形、年齢を問わないモデルたちがランウェイを闊歩した。しかしそれから10年ほどがたち、アメリカのトランプ大統領が前政権のDEI(多様性・公平性・包括性)政策を撤回し、イギリスの最高裁判所が「女性」という定義を生物学的性別に限定する、という判決を下す事態に。ロンドンをベースとするコナー アイヴスの「Protect the Dolls」Tシャツ(「Dolls」という愛称で呼ばれるトランス女性、ひいてはトランスジェンダー・コミュニティの保護を訴えている)のように直接的にメッセージを発するデザイナーもいるが、こうした現状に対するアイロニーの表現と受け取れる例もある。
「ミュウミュウ」や「ジバンシィ」におけるわざとらしく突き出た胸のフォルムを作るコーンブラの採用や、「バレンシアガ」でタンクトップ着用の筋骨隆々のメンズモデルが複数人ランウェイに登場したこと、新進ブランドの「デュラン ランティンク」で男女モデルがそれぞれシリコン製の豊満な胸の女性やムキムキの男性の胴体を身に着けていたのは、多様性の尊重を訴えたところで、結局は「グラマラスな女性、マッチョな男性が理想の姿」という昔ながらの価値観が根強い現実を極端な方法で私たちに突きつけているのかもしれない。
さらに、今季のオフィスルックのトレンドも関連があるように思えてくる。ひょっとすると「オフィス」を私たちを縛りつける制約の象徴と捉え、そこからどう自由になるか、というデザイナーたちの提案なのではないだろうか。
モードについて、ロラン・バルトは「無秩序に変えられるためにある秩序である」と定義し、ジャン・ボードリヤールは「あらゆる記号が相対的関係におかれる地獄」と評するなど、かつてのフランスの思想家たちはそのあやふやさを指摘していた。もちろんそうした面はあるし、その軽やかな移り変わりが私たちを引きつけもする。しかし、モードの特性はそれだけではない。いち早く、繊細に時代の空気を嗅ぎ取る才能を持つ、デザイナーと呼ばれる人々が作り上げている。私たちには新作を見ることで、さまざまな学びがあるはずなのだ。
混沌にこそ見たい、ファッションの未来
by 新井茂晃(ファッション・クリティック)
今、時代は大きく動いている。2025年5月29日(木)、「ディオール」を率いたマリア・グラツィア・キウリの退任が発表された。一昨年から続くビッグメゾンのクリエイティブディレクター交代は、人々が求めるファッションの変化を示唆している。その兆しは、2025-26年秋冬シーズンに表れていた。シーズンを彩ったカラーは、あらゆる色をのみ込む黒。エレガンスの復権を象徴するこの色が、モードシーンをクラシックに傾かせた。スニーカーからヒールへ。そんな転換が始まったようにも感じる。さらには、真新しさよりも時間をまとったような質感、ソフトなヴィンテージタッチが顕著だった。AIの活用が進む現代社会と逆行するように、ファッションは時間をさかのぼりはじめ、レトロな表情のスタイルを提案する。
このようにファッションが過去を参照する一方で、世界で加速するのはAIの進化と浸透。2025年秋冬シーズンの発表が佳境を迎えたころ、日本ではChatGPTと共作した小説が芥川賞を受賞した。「AIは効率化ツールではなく、創造の共犯者になりえる」。この可能性に気づいたデザイナーたちは、AIとのクリエーションに取り組みはじめている。パターン、素材、グラフィックに取り入れる動きが広がっているが、いずれAIは小説家と編集者という関係性のように、思考を掘り下げる存在になるだろう。問いは「AIで何ができるか?」ではなく、「AIとどこへ行けるか?」だ。
また、近年のコレクションにおける大きな変化のひとつが、創作の出発点。異文化からの引用ではなく、自らの記憶や体験に根差した「個人史」から服をつくるデザイナーが増えている。今年9月にグランプリが発表される2025年LVMHプライズのファイナリストにも、自分の育った文化や人生を源泉にしたデザイナーが多い。
「ヴェトモン」が世界に衝撃を与えてから10年。以後、ブロークコアやバレエコアなどのコア現象、クワイエット・ラグジュアリーと次々にトレンドが登場したが、あの時の「ヴェトモン」のように、時代の空気を変えるほどの熱はまだ感じられない。これをファッションの停滞と見るかどうか。私は前進と捉えたい。趣味趣向、働き方、ジェンダーの在り方まで、あらゆる選択肢と可能性がスタンダードになった今、ひとつのブランドがひとつのスタイルでけん引する構図に、もはやリアリティはない。だからこそ私は、混沌の力に引かれる。これまではひとつのスタイル=ひとつのブランドという図式があっただろう。だが、2025年秋冬シーズンでは、「マリーン セル」や「キコ コスタディノフ」がひと言では語れないコレクションを発表した。スポーツ、クラシック、ストリート、異なる要素が調和する必要などない。あえて整えず、雑多に混ざり合ったひとつのスタイルに、最も大きな可能性がある。
このコラムも、メゾンの動向から始まり、シーズンの流行、AIの進化、デザイナーの創作源など、話題が飛び交う。だが、この整然としない感覚こそ、2026年春夏シーズンに期待したいファッションの姿だ。「世界中で好きだと言ってくれる人が、ひとりでもいい」。そんな熱で服をつくるデザイナーに、私は未来を見たい。
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